私にとっては初めての、オリジナルのSSです。
いちおう作者的には百合のつもりです。うまく表現できているかどうかは少し微妙ですが。
あ、いちおうフィクション、ということで。
もしこれをお読みになって『柊咲夜って何者?』と思われた方は、お手数ですが
「いばらの森奇譚」
「副委員長とあたし」
「初冬のひととき/終わりの始まり」
をお読みいただければと切に願います。
「あいいろ魔法少女」
・一話完結もの
・シリアス
恋だとか。
魔法だとか。
もしくは正義だとか。
ばかばかしい。
そんなのはおとぎ話かただの妄想。
さもなければ精神疾患の一種。
本気でそう思っていた。
そう、あの日の放課後までは。
あの霜月の放課後までは。
本気でそう思っていた──
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『あいいろ魔法少女』
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……とか言ってるわけよ」
「何それっ、ありえねー。超ウケるンすけど」
「でしょでしょ。あ、それからさぁ……」
今日も放課後がやってきた。
義務教育という名の拷問を終えた私は、何人かの友人たちとうそ寒い学校の廊下を通り抜けて玄関へと向かっていた。
窓の外にはどんよりとした曇り空が広がっている。地平近くに広がる山並みは今まさに紅葉の盛り。季節は晩秋、いやむしろ初冬と言ったほうがいいだろうか。
霜月。
それは中学生になって初めて迎える、長く辛い冬の到来を予感させる呪文。
しかたないじゃない。少しばかり感傷的になったとしても。
疎ましい。
何もかもが疎ましい。
気の置けない友人たちのさえずりでさえ、ただひたすらに疎ましい。
「そういやさ、隣のクラスに転入生来たらしいけど、見た?」
「別に興味ないけど。ひょっとしてイケメンとか?」
「残念、女の子だよ。ただこれがめっちゃ可愛いんだって」
「……ひょっとしてあんた、そーゆー趣味あるんじゃなかろうな」
「それが彼氏持ちに対する反応かよ。これでも私は浮気はしない主義なんだぜ」
「リア充氏ね」
ひときわ高い笑い声が巻き起こる。
何組の誰某がうちの組の何とかに気があるらしいとか。
今年の冬はどんな服がはやるらしいとか。
今日も数学の教科担任はキモいとか。
そんなどうでもいい話が右から左へと流れては消えていく。
──くだらない。
たとえば今の日本の首相が何と言う名前なのか。
たとえば九一一事件が起きたのが西暦何年なのか。
たとえば昨日一日で何人の人命が地球から失われたのか。
この子たちはおそらく、いや確実に知らないのだろうな。
このように、私と彼女たちの間には一生を費やしても決して乗り越えられない、山のように高く険しい、そして海のように広くて深い断絶が横たわっている。
しかたないじゃない。少しばかり感傷的になったとしても。
ひょっとして、束縛から解き放たれた開放感と倦怠感にあふれているはずの玄関の向こう側に、何か妙な空気を感じ取ってしまったのは、そんなやるせない思いを抱えていたからだろうか。
その気配に気づいたのとほとんど同時に、名前も知らない何人かの男子が私たちの間をすり抜けて、口々に何かを叫びながら玄関の方に走り去っていく。そのうちの単語の一つが何故か耳に残った。
ケンカ、ですって……?
◇
開放された玄関から流れ込んでくるヒヤリとした空気に混じる甲高い声、いや、叫び声。神経がささくれ立ち、胸が悪くなる感じを覚える。
手早く玄関で外靴に履き替え、状況を確かめるために私は外に出た。わざわざ探し出すまでもない。出入口からそう離れていない校庭の一角から、すでに無視するのも難しい喧騒が響いてくる。それをぐるりと取り囲むように人だかりが出来ていた。三十人、いや、四十人はいるかも知れない。
騒ぎの正体を確かめるべく、私はギャラリーをかき分けて前へと出る。その中心では二人の女子が口論の真っ最中だった。いや、その認識はあまり正しくない。その片方だけが一方的に喚き散らしていたのだった。
一人は三年の先輩。
顔に見覚えがある。確か女バレ──女子バレー部──の元キャプテン。身長一八〇センチを優に超える巨躯。おそらくは骨と筋肉だけでできているであろう頑丈そうな身体から、ごつい手足がにょきにょきと生えている。もし制服を着ていなければ、男子だと言われても信じてしまいそうだ。もっともあれはいつだったか、部長会議での短い質疑応答だけで、頭の出来が残念賞だということはすぐにわかってしまったが。
もう一人は見知らぬ制服を着込んだ少女。
「おやおや、例の転入生だ。早くも人気者みたいだね」
誰かが私の耳元でささやくのが聞こえた。自然、私の眼が吸い寄せられることになる。
先輩の胸ほどしかない身長だが、精いっぱい背筋を伸ばして相手を見上げている。それはそれはとても小さく可愛らしい顔だった。ほんの少しだけブラウンの入った黒髪を惜しげもなくショートカットにしている。
スレンダーな身体にまとっているのは、鮮やかなまでな藍色で染め上げられたベレー帽、胸元に校章らしいエンブレムが縫い取られたパレオ、膝丈くらいの長さのインバーテッドプリーツのスカート。そこから伸びているのは黒タイツで包まれたバレリーナのように細くて形のいいふくらはぎ。そしてとどめはきっちり磨き上げられた黒のローファー。
それらの全てがまるで一個の芸術作品のように、見事なまでの調和美を見せていた。
おまけに横顔はまるで人形のように端正だ。どちらかというと柔らかな色をはなつ大きな茶色の瞳。すっきりと通る鼻すじ。そして和菓子細工のような繊細で薄い桜色の唇。
唯一違和感を感じたのは右手に握られた鈍い銀色を放つ杖の存在だ。だが、普通なら雰囲気ぶち壊しになってしまう実用本位のデザインなのに、彼女がそれを持っているというだけで、いにしえの大魔法使いのマジックアイテムのように思えてくる。
よく陳腐な表現で、ポスターやグラビアから抜け出してきたような、などというのを見聞きすることがある。だけど断言しよう。彼女の容姿を言い表すにはその程度ではとても足りない。
なぜなら、クラスメイトたちは論外として、この学校全体やこのあたり一帯はもちろん、たとえ比較の対象がタレントやモデルやグラドルであったとしても、これほどまでに圧倒的な存在感を放つ美少女にはお目にかかったことがないからだ。
その事実は、田舎の中学でお前はAだの私はSだのという醜いスクールカーストの順位争いで勝ち上がってきた、この私の小さなプライドを粉々に吹き飛ばすのに充分すぎる威力を発揮したのだった。
その私のなけなしのプライドのかけらが最後の抵抗を試みている。
──たかが田舎の中学に登校するのにあんな超本気モードはないだろ。
──あれじゃ上級生に目をつけてくれって言ってるようなもんじゃない。
──何が原因でこんなことになったか知らないけど少しくらい空気読めよ。
ま、その言い分にも一理あるか。それだけ確認してから以後は一切耳を貸さないことにする。反省会は家に帰ってからだ。
それにしてもこの見事なまでの好対照ぶりはどうだろう。なんとなく旧約聖書のダビデとゴリアテを連想してしまう。依然として先輩は聞くに堪えない罵詈雑言を吐き出し続けているが、一方の少女はまったく反論するそぶりを見せようとしなかった。
ふと奇妙な違和感を覚える。逃げるでもなく相手するでもない。彼女はいったい何を考えているのだろう。まさか必殺のスリングを放つタイミングを計ってる、とか?
しばらく事の成り行きを見守っていた私は、泰然とたたずむ少女の口元にかすかに笑みが浮かんでいることに気づいた。それに対して烈火のごとく怒り狂う先輩にはそんな余裕は微塵も感じられない。
追い詰められているのは果たしてどちらなのだろうか。
◇
とうとう先輩の息が切れた。肩を大きく上下させて呼吸を整えている。一方の少女はと言えば、あたかも見知らぬ虫を観察する昆虫学者のように先輩を冷ややかに見つめていた。
「な、なんとか言ったらどうなの!」
沈黙に耐えられなくなったのか、たまらず先輩が吼える。それを聞いて、初めて少女が可愛らしい唇を動かす。そこから、誰もが想像もしない言葉が飛び出した。
「ふーん、背だけじゃないんだ。デカイのは」
にこりと少女が笑う。見かけはあくまでも天使。だが中身は恐るべき悪魔。
──まるで呪文のように。
しばしの静寂ののち。
ギャラリーの一人が堪えきれずに吹き出し。
それをきっかけに爆笑のうねりが巻き起こった。
少女が、先輩の身体と声と態度の大きさを皮肉ったのは火を見るよりも明らかだったから。
たったの一言で形勢は逆転した。
「な、何が可笑しいのっ!」
先輩が顔を真っ赤にして周りに向かって喚き散らすが、その愚かな行為はただ笑いの火に油を注いだだけだった。
「こ、の、チビッ。いい気になってんじゃないよっ!」
完全にブチ切れた先輩が少女に掴みかかる。あまりの体格差。あれじゃひとたまりもない。止めなくちゃ。ひねり潰されてしまう。私はしかし、とっさの事態に一瞬だけ反応が遅れた。だめ、間に合わない。そう思ったのと同時に、
周囲に異変が起こった。
少女と先輩以外の世界が静止する。
全ての色が、音が、香りが完全に失われる。
灰色に染まった少女が左手を頭の高さに振り上げる。先輩の太い腕が苦もなく弾かれる。そのまま滑るように細腕が横へスライド。ごつい左手の甲を包むように握る。同時に左足が右足後方へ。少女の身体が半分回転。そのまま左腕を思い切り振り降ろす。
先輩の足が見えない何かに薙ぎ払われる。身体がくるりと上下に反転。両の足先が少女の頭よりも高く跳ね上がる。そのまま背中から大地に叩きつけられる。
刻が動き始める。ゆっくりと。
世界が再び色彩を帯びはじめる。
おそらくは一秒にも満たない時間の間に事の全てが終了した。付近一帯に響き渡るかのような大音響と地響きに、ようやく現状認識が追いついてくる。でも、この眼で見ていたはずなのに、とうてい受け入れられない光景に驚愕の念を覚えてしまう。これは映画でもCGでも、もちろん幻や妄想でもない。
吹けば飛ぶようなか細い少女があの先輩の巨躯を左手一本で投げた。予想もしない事態に、かたずを飲んで見守っていたギャラリーの誰もが震撼する。
だが、まだ悪夢は続く。
追い討ちをかけるように少女が先輩の左腕を異様な形にねじり上げていく。先輩の口からとうてい人間のものとは思えない悲鳴、いや絶叫が吐き出される。なんとかその状況から逃れようと必死になってのた打ち回っている。
しかし少女の動作にはまったく情け容赦が感じられない。先輩の身体が操り人形のように仰向けからうつ伏せに。その身体をまたいで少女が仁王立つ。倍近い体重差などまるで感じさせない。彼女から放射されるすさまじいまでの暴虐。思わず私は全身に鳥肌が立つのを感じていた。
クスクスと笑いながら少女が口を開く。
「そんなに暴れると腕が折れちゃいますよ」
さらりと恐ろしいことを言う。
「それとも、いっそのこと折っちゃった方が世の中のため?」
その天使のような微笑とは裏腹に、彼女の眼にはあまりにも酷薄な光が宿っていた。
──この娘、マジだ。
この場にいる誰も彼女を止められない。
そう、ただひとり。この私を除いては。
そう確信した瞬間、ようやく私の口から静止の言葉が飛び出した。
「ねえ、今日のところはそのくらいにしておこう」
「どうして止めるの?」
きょとん、とした表情を少女が浮かべる。まるで小さな子どもが昆虫の手足をバラバラに引きちぎるのを押し留められたような風情だ。何一つ理解していないその態度に、少しばかりイラッときてしまう。
──莫迦かお前。
──あんたのためだよ、あんたの。
『誰だよアイツ』
『お前、知らないのか? あいつ、花菱だぜ』
『花菱って……あの花菱か?』
『そう、あの花菱さ』
『マジか、あれがそうなのか』
『へへへ。なんだよ、意外に……』
軽く唇を噛んで心の中でいつもの呪文を唱える。こそこそと物陰でさえずる事しかできない愚鈍な連中の声など、私の心には決して届くことはないのだ、と。
「転校初日に、そんな莫迦のためにみすみす停学処分なんて食らう必要、ないんじゃない?」
「そっかなー。これって立派な正当防衛だと思うんだけど」
「押さえ込むまでならね。でも無抵抗の先輩の腕を折ってしまったら、それはもはや過剰防衛でしょう」
「でもこの人の存在って、将来の禍根そのものだよ」
聞き分けのない幼児を辛抱強く諭す母親の気持ちが少しだけ理解できた気がした。
「それがあなたの正義なの。まるでブッシュみたいな言い草ね」
「マンネルヘイム元帥にも同じことを言ってみたら?」
「確かフィン軍はナチのレニングラード侵攻要請を拒否したはずだけど」
カール・グスタフ・マンネルヘイム。北欧の小国を超大国の侵攻から守り抜いた不屈の英雄。残念ながら私の知識も彼女には及ばなかった。これ以上追求されたらもう対抗できない。どうする。適当に話をそらすか。いやだめだ。他の莫迦相手ならともかく、こいつにそんなハンパな手は通用しない。負けを認めたも同然だ。それでは彼女を止められない。じゃあどうすれば……。
ふっ。
一瞬の逡巡ののちに少女が笑みを浮かべた。さきほどまでとはまったく異質な、何一つ屈託の感じられない笑顔を。
──見透かされた……?
「先輩、運がいいですね。こちらの方のおかげで大怪我しないですんだみたいだから」
そういえば、私は彼女の名前すら知らない。
「花菱、花菱美希。覚えておいてくれると嬉しい」
「私は咲夜。柊咲夜。別に覚えてくれなくてもいいよ」
そう言い捨てると、彼女──柊咲夜は、なおも低い呻き声を上げ続ける先輩の腕を地面に放り出し、杖を頼りに校門の方に歩き出す。私に出来たのは、その後ろ姿をただ見送ることだけだった。
雲が切れた。すき間からほんの少しだけ藍色の空が顔をのぞかせ、弱々しい陽の光が地上に一筋の柱を突き立てる。唐突に、そこから彼女が空へと帰還するイメージが思い浮かんだ。
恋だとか。
「ちょ、なにあれ」
「あの態度。サイアク」
魔法だとか。
「……ねえ花菱、大丈夫?」
もしくは正義だとか。
「え、あ、うん。なんでもないよ」
そんなのはおとぎ話かただの妄想。
さもなければ精神疾患の一種。
本気でそう思っていた。
放課後までは。
ついさきほどまでは。
本気でそう思っていた。
でも今は違う。
あの少女の傍らに立ちたい。
あの少女と共に肩を並べて歩きたい。
あの少女にふさわしいと言われる人間になりたい。
──何よこれ。何なのよこれ。
恋なのか。
魔法なのか。
もしくは正義なのか。
わからない。
確実にいえることはただひとつ。
ほんのわずかでも気を緩めたら最後。
身体の奥底でうごめく正体不明の感情に。
ひとたまりもなく流されてしまうに違いなかった。
──まるで恋する乙女のように。
(Fin)
鷲宮神社道行へ続く。